日々の出来事 9月6日 ベレンコ中尉とミグ25 - 大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

  日々の出来事 9月6日 ベレンコ中尉とミグ25

 今日は、ベレンコ中尉亡命事件が起こった日です。(1976年9月6日)

1976年9月6日、突如、ソビエト連邦ベレンコ中尉が操縦するミグ25戦闘機が函館空港に着陸しました。

そして、ベレンコ中尉はアメリカ亡命を表明し、ミグ25戦闘機はこの亡命の手土産でした。

当時は米ソ冷戦の時代で、ソビエト連邦の最高機密である最新戦闘機が労せずして手に入ったのです。

 でも、ここで大きな問題は、自衛隊の防衛網が簡単に破られたことです。

自衛隊はレーダーでベレンコ機を見つけて、2機のF-4EJがスクランブルしましたが見失い、さらにレーダーからもベレンコ機は消えてしまいました。

そして、突然、函館空港に現れたのです。

 北海道警察は、即刻、函館空港を完全に閉鎖しました。

自衛隊北海道警察から現場の立ち入りを拒否され、テレビからしか情報が得られないほど情けない状態でした。

当然、ソビエト連邦からはベレンコ中尉と機体の即時返還要求を突き付けられます。

 そして、日本的な混乱が広がり始めます。

防衛庁抜きの政府の対策会は、“ソ連がブツブツ言うから波風の立たないように機体に触れずに返還しよう”と言う結論に落ち着きます。

 これに慌てた防衛庁は、慣例上認められているとされる機体検査をする所まで巻き返します。

そして、防衛庁はミグ25戦闘機を手に入れますが、悲しいことに技術的ノウハウが無いから、機体調査を共同調査という名目でアメリカ軍にお願いします。

お役人の色々な雑音が聞こえて来ます。

北海道警察

  邪魔だからどっか持っていけ。

函館地方検察庁

  出国管理令違反の証拠物件だから、ミグ25の周りにプレハブの壁を

  作る予定で、壁は業者の借り物だから、防衛庁は月100万円の賃料

  を業者に払え。

運輸省函館空港管理事務所

  ミグ25の駐機料は一日一万だ。

・大蔵省の税関

  外国機が着陸して帰って行くなら免税だけれど、分解返還なら輸出税

  を払え。

通産省

  分解返還は武器輸出になり、武器輸出三原則に引っかかるのではないか?

・外務省

  面倒なことは嫌いなので早く返還しろ。

 色々ブツクサ言われた後、ミグ25戦闘機は分解され、アメリカ空軍の大型輸送機に搭載させてもらって茨城県にある百里基地に、“函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました”の横断幕と共に移送されて行きました。

 機体は百里基地で、日米の合同調査チームによって徹底的に調査されました。

その後のペンタゴンのコメントは"MIG-25 is not so hot"でした。

最終的には、ミグ25戦闘機はソビエト連邦の貨物船で返還され事件は終わりました。

 また、ベレンコ中尉は無事アメリカに亡命し、今も民間人として暮らしています。

ベレンコ中尉は、CIAのエージェントであったことがこの事件を起こした原因だと噂されました。

でも、これは怪しい話で、ホントはベレンコ中尉の給料が300ルーブルと安かったことと、妻との仲が冷え切っていたことです。

 ロッキードC-5Aギャラクシー大型輸送機で輸送中

☆今日の壺々話

   ベレンコ中尉の結婚の話

<結婚前>↓に向かって読んでください。

ベ:やった!待ちに待った日がようやくやってきたよ!本当に待ちきれ

  なかったよ!

妻:結婚やめてもいいかな?

ベ:ノー、そんなのありえないよ。

妻:私のこと愛してる?

ベ:当然だよ!

妻:裏切ったりする?

ベ:ノー、どうしてそんな風に考えるのかな?

妻:キスして。

ベ:もちろん!一度だけじゃ済まないよ?

妻:私に暴力を振るう?

ベ:永遠にありえないよ!

妻:あなたを信じていい?

<結婚後>↑に向かって読んでください。

戦闘機の説明

F-22

良家のお嬢様。超美人だけどお付き合いするのに金が無茶苦茶かかる。

父親がなかなかOKしてくれない。

F-35

姉よりブサイクで、器用なのはいいけど頭は悪い。

大学もなかなか卒業できず、金の力で無理やりなんとかさせたいらしくて下手すると姉より金がかかる。

正直姉の方がいいけど父親がやたら勧めてくる。

ユーロファイタータイフーン

貧乳ロリっ娘なのにどんなプレイにも応えてくれると言ってくれるド変態。

質素と思われがちだが実は結構お金がかかる子。

F-15FX

実績のある才女で巨乳なお姉さん。昔は派手だったけど今は意外と質素で家庭的。

いい奥さんになりそうだけどやや年増。

F-2

一番気安く付き合える幼なじみ。

小さい体格から考えると力持ちだけど、将来の成長は期待できないかも。

昔は生活が派手だとさんざん叩かれたが、実はこの中では一番質素な暮らしをしているらしい。

F/A-18E/F

現役キャリアウーマン。力持ちで働き者。

だが、大食らいで隠れ肥満。息切れしやすい。

Su-27系統

脚線美の素敵なアイドル。

歌も踊りもうまい、見た目以上の働き者。

ただし、ロシア女は年をとると要注意。

MiG-29系統

元アイドル。連れて歩く分には十分。

そこそこ働き者でもある。

安いからと言って付き合うと、アレコレ高いブランド物を買わされることになる。

MiG-21系統

子だくさんの娘のひとり。

最近ではアンチエイジングで多少カワイクなっている。

が、若い子には負けなくても、絶対に勝てない。

グリペン

ちびっこ。

お兄ちゃんに付いて回るのは可愛いが、それだけ。

陸軍と海軍と空軍

陸軍、海軍、空軍、それぞれの将軍が、誰の部下が一番勇気があるか競うことにした。

陸軍の将軍が部下に言った。

「 今そこを走っている戦車に向かってほふく前進をしろ!」

部下は言われたとおりに戦車に向かい、ひき殺されてしまった。

空軍の将軍が部下に言った。

「 パラシュートなしで戦闘機から脱出しろ!」

部下は言われたとおりに戦闘機から飛び出し、墜落死した。

海軍の将軍が部下に言った。

「 あの空母の一番高いところから飛び降りろ!」

部下は言った。

「 ふざけるな、この豚野郎!」

海軍の将軍が言った。

「 どうだ、私の部下が一番勇気があるだろう。」

風防

 ロールスロイスの技術者は、旅客機や戦闘機の風防に向かって、死んだ鶏を高速で発射する特殊装置を製作した。

しばしば発生する鳥の衝突事故を模して、風防の強度試験をするためだった。

 この発射装置のことを耳にしたアメリカの技術者たちは、是非それを使って最近開発した高速列車のフロントガラスを試験してみたいと考えた。

話し合いがまとまり、装置がアメリカへ送られてきた。

 発射筒から鶏が撃ち出され、破片飛散防止のフロントガラスを粉々に打ち破り、制御盤を突き抜け、技術者がすわる椅子の背もたれを二つにぶち割り、後部の仕切り壁に突き刺さった光景に技術者たちは慄然とした。

 驚いたアメリカの技術者たちは、悲惨な実験結果を示す写真にフロントガラスの設計図を添えてロールスロイスへ送り、イギリスの科学者たちに詳しい意見を求めた。

それに対するロールスロイスからの返事はたった一行だった。

「 チキンを解凍してください。」

爺ちゃん

 ある日、爺ちゃんとテレビを見ながら飯を食っていると、世界不思議発見だか何だかでラバウルが紹介されたんだ。

で、レポーターが現地の案内人のおっさんに話しかけてると、突然爺ちゃんが、

「あいつ!○○だ!○○だ!」

と叫び出した。

 ついにボケたか、と思ったがテロップに本当にその名前が出た。

ビックリして爺ちゃんに詳しい話を聞くと、戦時中はラバウルにいて、そのテレビに出てた当時は子供だったおっさんに日本語を教えたり遊んだりしてたらしい。

 そして、テレビでおっさんが当時の事を話した。

おっさん

「私が病気にかかって高熱に苦しんでいると日本兵が当時貴重だった薬をくれた。」

爺ちゃん

「俺だ!俺だ!それ俺だ!俺!俺の事だ!」

とてもうるさい。

いい話で、これで爺ちゃんがテレビに出るんじゃないとか思ったが、

爺ちゃん

「あれ薬じゃなくて歯磨き粉だったんだわ、あいつ馬鹿で信じてやがるwwww。」

俺は誰にも言わないでおこうと決めた。

婆ちゃん

 うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、戦闘機に乗って戦ったらしい。

そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

 当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。

ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。

だれぞ、と声をかけども返事はなし。

 しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。

婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、

「 兄ちゃんか?」

と叫んだそうです。

返事はありませんでした。

 その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。

そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。

婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。

 遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。

婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「 ○○子よ。

兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。

弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。

この国を、日本を頼んだぞ。

負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。

まずしくともよし、泥をかぶってもよし。

かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。

ただひとつ、心を汚すな。

それが日本人だ。

心を汚されたときこそ、おこれ。

黄色のりぼんがよく似合っていた。

兄はいつも共にある。

うつくしくあれ、○○子よ。」

 

 婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを、毎日お下げに巻いていたそうです。

お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。

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